平成 維摩居士伝

 

四聖諦

四聖諦

 

四諦は簡略形で、四聖諦が正しい。

 

サンスクリット語 catv?ri ?ryasaty?ni パーリ語:catt?ri ariyasacc?ni

 

チャッターリ アリヤサッカーニ

 

 

内容は、
* 苦諦:苦という真理
* 集諦:苦の原因という真理
* 滅諦:苦の滅という真理
* 道諦:苦の滅を実現する道という真理(→八正道)

 

ここの苦は、思い通りならないという意味ですね。

 

wikiでは、
釈迦はさとりを得た後、ヴァーラーナスィーの鹿野苑において、初めて五比丘のために法を説いた(初転法輪)。この時、この四諦を説いたと言われ、四諦は仏陀の根本教説であるといえる。四諦は釈迦が人間の苦を救うために説いた教えであり、あたかも医者が、患者の病気の何であるかをよく知り、その病源を正しく把握し、それを治癒させ、さらに病気を再発しないように正しく導くようなものだ(応病与薬)と言われている。

 

釈迦は初転法輪において、まず迷いの現実が苦であることと、その苦は克服しうるものであることを明らかにした。しかも、苦は単に苦として外にあるのでなく、我々がそれをどう受け取るのかで変わってくることを説いて、「煩悩」こそがすべてを苦と受け取らせる原因であることを明らかにした。したがって、この煩悩を正しく処理すれば、苦に悩まされない境地をうる。その道こそ、いっさいの自己愛を捨て、他に同化することにあるので、その根本は自己の本姿に徹することである。つまり、本来、執着すべきでない自己に執着することこそ、苦の原因である。この「苦」を滅して涅槃の世界に入る方法こそ「仏道」である。

 

 

四聖諦は、お釈迦様が、最初に説いた(初転法輪)真理として、非常に重要とされてます。

 

それぞれは、

 

 

 

苦諦
人生の厳かな真相、現実を示す。「人生が苦である」ということは、仏陀の人生観の根本。
四苦八苦が有名ですね。

 

 

 

集諦
苦が、さまざまな悪因を集起させたことによって現れたものである。という真理、またはこの真理を悟ることを言う。 集諦とは「苦の源」、現実に苦があらわれる過去の煩悩をいう。

 

煩悩は、またいろいろありますので、また別途。
集諦しは、苦の原因と考えて問題ないです。

 

 

 

滅諦
煩悩が滅して苦のなくなった涅槃の境地を言い、いっさいの煩悩の繋縛(けばく)から解放された境地なので解脱の世界であり、煩悩の火の吹き消された世界をいう。

 

諸法皆空という言葉で言われているように、森羅万象全ての法、すなわち諸法はすべてこれ空であって、実体のあるものではなく、因と縁から成り立っているものであり、苦は縁であり、縁は因(たとえば心や行いなど)を変えることによって変わりうるという悟りであるとも言える。

 

空の概念は、般若心経が有名ですね。

 

 

道諦
苦を滅した涅槃を実現する方法、実践修行を言い、これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である。その七科三十七道品といわれる修行の中の一つの課程が八正道である。

 

ここの八正道に出てくることは、世界の偉人さんが、言葉を変えて言うことが多く、やはり、わかっている人は、わかっているのだと、思うところです。

 

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八正道

 

1 正見
2 正思惟
3 正語
4 正業
5 正命
6 正精進
7 正念
8 正定

 

詳細はまた別項目として、ここでは、貝原益軒の『養生訓』のお話と比較してみましょう。

 

「『孟子』の君子の三楽にちなみ、養生の視点からの「三楽」として次のものが挙げられている。
 ・道を行い、善を積むことを楽しむ
 ・病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ
 ・長寿を楽しむ。

 

 また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されている。まず自らの内にある四つの欲を抑えるため、次のものを我慢する。

 

 ・あれこれ食べてみたいという食欲
 ・色欲
 ・むやみに眠りたがる欲
 ・徒らに喋りたがる欲

 

 

正命の解説が、
「邪命を捨てて、正命によって命を営む」とか「如法に衣服、飲食、臥具、湯薬を求めて不如法に非ず」といわれるのは、如法な生活それが正命であることをあらわす。簡潔にいえば、道徳に反する職業をやめ、正当ななりわいによって生活を営むことである。

 

まさに、同様の概念であると、感じ入るしだいです。

 

悟りを得るとは、このようなことなんでしょうね。

 

 


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