八苦
実は、苦は誤解している人が多いので、
じっくり、お話いたしましょう。
苦 wikiでは
仏教における苦(く、duHkha、????)とは、サンスクリット語の「ドウクハ」に由来する。「ドウクハ」は「豆法」と音写され、苦と訳された。
「ドウクハ」の「ドウ」(duH = dus)は、「悪い」という意味、「クハ」(kha) は「運命」「状態」の意味であるから、苦とは、もともと悪い状態、悪い運命というような意味をもっていたが、一般に身心を逼悩することをいうとされる。
すなわち、精神と肉体とが悩みに逼迫されている状態である。このうち、精神の苦について、憂・愁・嫉妬などをあげている。また、肉体的な苦は種々の病などであるという。
もともとは、悪い運命 という意味からきてるんですね。
古くは、律蔵のような、古い経典にもあることから、
お釈迦様が、説いたことには、間違いないでしょうね。
二苦
あまり有名でないですが、外苦、内苦 になります。
災害とかは、外苦
精神や、病気は、内苦です。
苦諦 → 重要
苦諦とは「苦が諦である」ということで、それは苦であることが真理(サトヤ、satya)であり、人間の生存そのものが苦であるという。その意味では、苦とは哲学的意味をもった苦である。
ちょっと難しいですが、諦は明らかなこと、といった
意味合いです。
苦諦は、四諦の中の1つで、
4つの真理のなかの、苦に関する真理という意味合いです。
四諦は、四聖諦というのが正しいですね。
四苦とは、生・老・病・死の4つで
これに、
愛する対象と別れねばならない「愛別離苦」(あいべつりく)
憎む対象に出会わなければならない「怨憎会苦」(おんぞうえく)
求めても得られない「求不得苦」(ぐふとっく)
最後に人間生存自身の苦を示す「五陰盛苦」(ごおんじょうく)、または「五取薀苦」(ごしゅうんく)
これで、四苦八苦です。
問題は、この苦を苦しいと考えても、意味がとれてしまうことですね。
この苦は、苦しいのではなく、
仏教哲学的には、
「思う通りにはならない」という意味で、
苦しいと考えるのは、誤りです。
生・老・病・死 思う通りにコントロールはできません。
それが、真理なのです。
愛する対象と別れねばならない、のも思う通りには
ならないのです。
また、それが真理であり、一時的に、悲しみにくれても、
執着してはならないのであります。
深いーーー!