平成 維摩居士伝

 

説話が意味するもの

先日知り合いの女性に、仏教の物語を聞かれたので、
いくつかお話しました。

 

 

若いまじめな女性です。

 

 

最初のお話

 

むかしむかし、インドに、キサーゴータミーという女性がいました。

 

いろいろ苦労して家庭をもって、やっとこどもが生まれたのですが、
病気で死んでしまいました。

 

半狂乱のようになった、キサーゴータミーは、
死んだ子供を抱えて、生き返る薬を求めて、街中をさまよいました。

 

その話を聴いた、お釈迦様は
キサーゴータミーのところへいって、

 

「では、私が、生き返る薬を作ってあげよう。
それには、材料が必要だ。
いままで、1人も死人を出したことがない家で、
芥子の実をもらっておいで。」

 

それを聞いたキサーゴータミーは、
街中の家々を訪ね、聞いてまわりました。

 

しかし、死人を出したことがない家など、1軒もありませんでした。

 

お釈迦さまのところへ戻ったキサーゴータミーは、
家々で聴いた悲しい話を聴いて、
不幸は自分だけのものでない事を悟ったことを語りました。
自分の子供の死を受け入れることができたのです。

 

 

 

ある意味、お釈迦さまの説話は、
達人の領域の話が多いですね。

 

ここでは、生の物語をキサーゴータミーに聴かせることで、
気を静めさせたわけです。

 

 

・人の話を聴くことは大切
・悲しいのは、あなただけではない

 

など、いろいろ成長のたねがあります。

 

 

 

では、次の話

 

それはそれは、昔のこと

 

訶梨帝母(カリテイモ)という名の夜叉神の娘がいました。
(夜叉神 → こわーい神様の一族という感じ)

 

 

毘沙門天の部下のパンチーカの妻になって、
500人もの子供を産みました。

 

 

しかし、それはそれは性質は暴虐この上なく、
近隣の幼児をとって食べるので、
人々から恐れ憎まれまたのでした。

 

 

人々の苦悩を知った、お釈迦様が、
彼女が最も愛していた末子・ピンガーラを隠してしまいました。

 

 

彼女は、悲しみ荒れ狂いました。

 

 

そこに、お釈迦様が、ピンガーラを連れてあらわれ、

 

「訶梨帝母よ、500人のうちの一子を失うも
 かくの如き悲しみなのだ。
 いわんや人の一子を食らうとき、
 その父母の嘆き悲しみはいかほどのことであろうか」

 

と戒めました。

 

 

これで、訶梨帝母は、子を失う母親の苦しみを悟り、
仏教に帰依しました。

 

 

以後、仏法の護法善神となり、
子供と安産の守り神となったのでした。

 

 

インドでは、とりわけ
子授け、安産、子育ての神として祀られています。

 

 

よく、鬼子母神を祀るお寺の看板に、鬼子母神の文字が
鬼の字の上の点がないものがあります。

 

 

これは、お釈迦様に悟らされた時に、
鬼の心とともに、頭にあった角が抜け落ちたという
逸話にもとづいて、点のない文字が使われるように
なったのです。

 

 

・相手の立場にならないと、その気持ちはわからない。
・人の気持ちがわかることで、その人間性も豊かなものになる。

 

 

というようなことが理解できますね。

 

 


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