平成 維摩居士伝

 

賽の河原地蔵和讃

毎年8月は、終戦記念日もあって、テレビでも戦争特集が組まれます。

 

思い出すのは、1958年版の『私は貝になりたい』です。

 

三洋電機の一社提供による単発ドラマ番組『サンヨーテレビ劇場』の一編(第42回)として、1958年(昭和33年)10月31日に放送。通常は22時00分から30分間の放送枠だったが、このドラマでは22時00分 - 23時40分に拡大された。岡本愛彦演出、橋本忍脚本、フランキー堺主演。

 

自分がみたのは、再放送だとおもいますが、フランキー堺が、苦難の表情で13階段を上っていくシーンを鮮烈に覚えています。

 

その後、20年ほどたって、岡本愛彦と語る会に出たことがあります。

 

 

 

さて戦争というと、地獄を連想するのですが、そうするとそこに救いはないのかと思うわけです。

 

仏教で言う地獄といいますと、灼熱地獄とか、血の池地獄とか
思い出しますが、とりわけ悲哀を感じさせるのが、賽の河原です。

 

賽の河原というところでは、おさなくして死んだ子供たちが、
家族のために石を積んでいます。

 

親に先立ち死亡した小児がこの河原で、父母の供養のため小石を積んで塔を作る。すぐに鬼が来てそれを壊す。また積み始める。際限のない労作業が続く。そこへ小児を救いに地蔵菩薩が現れる、という話です。

 

有名な部分は、
一重積んでは父の為  二重積んでは母の為   三重積んでは西を向き

 

  樒程なる掌を合せ   郷里の兄弟我ためと  あら痛はしや幼子は

 

  泣々石を運ぶなり

 

というあたりは、みなさんもご存じでは。

 

解説によると、

 

15世紀後半の室町時代末期の高まる地蔵菩薩信仰とともに、幼い子供たちが堕ちる地獄、
「賽の河原」の仏話は、「賽の河原地蔵和讃」として詠われ、現代まで伝えられている。
地蔵菩薩はお釈迦様の没後から弥勒菩薩が成道するまでの無仏時代の衆生済度を付嘱された
菩薩であるといわれる。地蔵菩薩信仰は中国では唐代、日本では平安時代中期の末法思想とともに
民衆に流行した。無数の分身に変身して衆生済度すると信じられ、最も親しまれ、僧(坊主)形で左に
宝珠、右手に錫杖を持つ姿が一般的である。

 

賽の河原地蔵和讃は、地域、時代で、その詳細内容が異なっています。

 

 

お地蔵さまが、最後は救ってくれるのはいいですが、
早死にした、こどもは罪人というのは、いささか、理解しがたい部分でもあります。

 

 

家族が、嘆き悲しむのは、おまえの罪である...

 

ということだそうですが、

 

どうもしっくりこない部分ですね。

 

心理学で、喪失体験 というのがあります。
最近多いのは、ペットロス症候群から、うつ病に移行するパターンです。

 

ペットが死んだことを、自分のせいだと、自責しつづけて、うつ病になってしまうのですね。

 

 

しかし、あなたがいつまでも、嘆き悲しんでいると、
ペットは天国へいけないのです。

 

どうもこの話に、共通点を感じるのです。

 

ペットの場合は、天国へ通じる、虹の階段のふもとで、
あなたがくるのをずっと待っています。
だから、いつまでも、悲しまないでください。

 

という話があります。

 

 

賽の河原地蔵和讃も同じように、
こどもをなくしても、いつまでも嘆き悲しむのはよくない。
あなたが、嘆き悲しむと、こどもは、鬼にいじめられるのだよ。

 

子供は、わたしが預かるから、安心して、もう悲しむのは
おやめなさい。

 

と、お地蔵さんが語りかけてくれているようです。

 

そんなふうに、受け取ると、すっきりしますね。

 

世の中に、お地蔵さんのような人が、もっと増えたらいいかもしれませんねー。

 

 


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